わたしはいつもボロボロで生きる

30代メガネ女子が都会で消耗していく記録

今更ながら愛がなんだを観た話

5月の話なんだけど、愛がなんだを観た感想を残しておきたかったので。

わたしはその日有休で、まさにわたしが勝手に好きなだけの男と前日に会っていた。複数人だったけれど、だからこそため息をつきたくなるけど決して悟られてはならない場面が何度かあった。

いまの状況で観ると心が死ぬだろうと覚悟しながらの鑑賞だったけども、想定ほどのダメージはなかった。テルちゃんのもはや好きかどうかはわからない執着心の行き場をなくしている感はすごく理解できたし、多くの人が共感している幸せになりたいっすねのナカハラの名シーンも、愛がなんなんだよそんなのきれいごとじゃんて思うテルちゃんサイドで見ていた。前夜の影響が少なからずあったのだと思う。ナカハラの心境に至って自ら好きな男と距離を置いたこともあれば、テルちゃんのように、付き合うだけが愛の形ではないと、側にいるためなら手段を選びたくないと思った時期もあった。テルちゃんのように、相手の気持ちなんておかまいなしに好きで居続けられたらある意味幸せなのかもしれないななどと、うっすら思っていたことをしみじみ考えたりした。きっとそれはある意味幸せで、ある意味とても不幸なんだろうと。ラストはテルちゃんが報われることがなくてよかった、よかったという表現はすこし違うかもしれないけど、映画を陳腐化させないリアルなラストだなと思った。

愛がなんなんだよ、わたしはいまもそう思っている。見返りさえ求めなければその人を想い続けることは可能だ。誰にも止める権利などない。でも、既に彼への気持ちは、純粋な恋愛感情以外に諦めとか失望とか対抗心とかが絡み合った執着に形を変えてしまった。この気持ちを抱えたまま生きていくのは私の精神衛生上よろしくない。おそらくその時間が長ければ長いほどに。

どんな形であれ手放したくないと思った人とのハローもグッバイもサンキューも言えなくなる日がそう遠くないうちに訪れる予感がしていて、その日々はしばらくはつまらないと感じるかもしれないけれど、そろそろ私も私自身を大事にしてあげたい。できれば、我慢も無理もせずに好きな人を好きだと言えるように。