わたしはいつもボロボロで生きる

30代メガネ女子が都会で消耗していく記録

一駅歩きながら考えたこと

21時前に職場の最寄駅を出る電車に乗った。いつもより少しばかり早い時間。お昼を食べすぎたせいかあまり空腹感もない。今日はジムにも行っていないし、軽い運動がてら一駅手前で降りて歩いて帰ることにした。
遠くに見えるタワマン群の灯りをぼんやり眺めながら、結構な坂を下る。

今日は上司も休みで打合せも少なく、ラッキーといえばラッキーだったが、理不尽だなと思うことがいくつかあり、あまり面白くない日だった。理不尽なことがない日はないけど、定時後に爆弾クラスがいくつか訪れたので、いつもより一段と自分の中で気持ちが消化しきれていない。
週末の夜だというのに、全然仕事のことを忘れられない自分にため息が出る。もう少し早く上がって、筋肉痛を押してでも、ウェアをレンタルにしてでもむりやりジムに行くべきだったかもしれない、と思うくらい気持ちが晴れない。
休みのときは仕事のこと考えないほうがいいよとほうぼうの先輩たちに何度も言われてきたけれど、新入社員の時からそんなことできないでいる。特段そんなに仕事を愛しているわけではないのだけど、仕事以外に考えることがあまりないのかもしれない。
結婚したいとも思っていないし今の暮らしには不満はないけれど、家庭を持っていないことがコンプレックスになってはいないかと問われれば否定できない。外野がデリカシーのないことを言う時期は数年前にピークを過ぎたけれど、その代わり内心思っていたり陰で言っているだけなのだろうなと思う。気持ちに余裕があれば、気楽な身分を羨んでいるだけだろうと思えるけど今日はそうではないようだ。

自宅までの道のりの半分ほどに到達。坂を下りきり、またそこそこの坂を上らないといけないところまできた。ぶどうの入ったゼリーが食べたいとやけに具体的なものを欲した気持ちになる。しばらくそういうの食べてないな。近くのセブンに立ち寄ったが、こんにゃくゼリーか寒天しかなかった。ちょっと求めているものと違うなと思い、何も買わずセブンを出る。
坂を上りながら、やや弱った気持ちを解消するために帰ってから何をしようかと考える。すれ違ったサラリーマン3人組はわりとお酒が入っているようで、声が無駄に大きかった。私も一缶のもうかなと一瞬思ったが、あまり気分は乗らなかった。
家の斜向いのファミマでもぶどう入りゼリーは見つけられず、代わりにみかんのゼリーを買った。ゼリーを食べる以外にすることは思いつかないまま家のドアを開ける。20分程早足で歩いたので、きもち汗をかいていた。いい運動になったようだ。一駅歩かないよりは気分もましだろう。健康的で素晴らしいではないか、とせめて自分で自分をほめてあげることにして、水をふたくち飲んだ。

エモいとはなんなのか

12年を有に越すお付き合いになる、同世代の愛すべきはてなフレンズたちが、毎日のように日記を書いていた学生時代を振り返って、あの頃みたいにエモいことないよねぇと当時を懐かしがっていた。
そこでふと考え込んでしまった。エモいってなんだろう。私はこの近年生まれた形容詞について、自分なりの解釈をまだ持ち合わせていない。

この言葉を聞いたときに、懐かしいとかセンチメンタルとかそういうニュアンスで使ってるんだなと思った記憶があり、ググってみたところ、どうもこの理解が間違っているわけではなさそうだ。
そう思えば学生時代のことはエモいと感じて当然なんだと思う。スマホSNSもなくて、発信する手段ははてなmixiくらい。有益な情報でもなんでもない、日々の出来事と自分の気持ちの浮き沈みを言葉にするのが当たり前だった。読み返してみたけど、ある意味すごく生々しかった。当時の感情がすごくリアルに思い出される、圧縮して保存されてたような文章だった。30代半ばの日常で、こんなに感情が全面に出ている文章を目にすることもなければ当然書くこともない。

ミドサーの日々にエモいことはないのか、と言うとゼロではないと思うが、もう当時のような文を書ける気はしない。それ以外に考えることがありすぎるのだ。結婚もしていなければ子供もいない私でも、自分自身のことより仕事のことを考えている時間が断然長い。仕事でも自分の目の前のことだけやっていればいい立場ではとっくになくなっていて、上司部下顧客組織、今一ヶ月後三ヶ月後一年後、と慮らなければいけないことが山のようにある。育児真っ盛りの時期を迎えている人たちはここに更に家庭のことがのっかってきて、余裕は全くなさそうだ。「エモい日記を書いていた時期に比べて、そのために割り当てられる頭のメモリが完全に激減している」のである。

とはいえ、何年か経った頃、「エモい文なんて書けないねぇ」とぼやいていたことさえエモくなるんじゃないだろうかとも思ったりする。その頃そうやって今に思いを馳せられるよう、心身ともに穏やかで健やかにいられるといいなと切に願う。

グッバイ2020

1年ぶりです。もはや年次イベント。

■昇進試験に落ちる。(3月)
手応えがなかったので覚悟はできていたけど、通知が来たときは結構堪えた。落ちる以前に、試験を巡ってストレスフルなことが山のようにあったのでかなり消耗してたし、それらが全部徒労だったんだなーと思うとほんとやるせなかった。過去形だけどやるせなさは未だにある。

■異動(4月) 
期限付きで部署異動をしていたので、期限満了でもとの部署に帰還。
管理職は知らない人ばっかになってて、一緒に働くことになった先輩とどうもソリがあわずに、↑の件で消耗していたところにとどめを刺されたような感じになった。
忙しいんだけど、緊急事態宣言中なんかは特に、これ本当にいまやらないといけないの?こんな時間をかけて??って疑問が拭えなくて、もうかわいい後輩たちだけがギリギリ私を踏みとどまらせているというかんじ。

■さよならビーモンはじめましてカーディオバー
1月で2年半続けたビーモンスターをやめて、入れ替わりでカーディオバーに入会。
カーディオバーは、インストラクターがかわいくてかっこよくて憧れられるし優しいので受ければ受けるだけ全員推しになってしまう。そしてやってて楽しいし体柔らかく姿勢よくなってきた気がしてる。ビーモンだと年間5回くらいしか行かなかった早朝枠、週1で行ってる。
しかもちゃんと痩せました。いまだに筋肉痛になる。
でも「ああこの曲はあの人のvol3の2曲目‥」とビーモンフラッシュバックは未だにありますね。

■展示をしまくる
仕事のストレスを発散するかのように、ハイペースの出展を続けた。
お世話になってるギャラリーがコロナの影響でなくなったら困るな、という理由もあったけど、やっぱり一番は自分の精神衛生を保つために前向きな活動が必要だったから。それくらいには参っていたと思う。
やってみたかったレイアウト、キャプションを試しまくり、その勢いで個展もやった。大変だったけど楽しかったし、複数枚を構成して「作品」に仕上げるのはすごく勉強になった。2021年もやりたいな。

とりあえず大変な一年だったし結構無茶な働き方もしたけど、体調を全く崩さなかったのは我ながら素晴らしい。でも今年はちゃんと6時間寝られるような生活スタイルにしたいです。

2019総括

例年のやつ、箇条書きで。
今年はトピックの粒度がばらばらです。

■二人展
今年、はじめて企画展ではない写真展に取り組みました。
個展でなく二人展ですが、ギャラリーも展示名もコンセプトも自分達で決めて、そのコンセプトに合わせて撮るということをはじめてした。作品!て意識して撮るという行為をちゃんとしたのはこの展示がはじめて。
すごく難しかったけど楽しかったし、久しぶりの方やはじめましての方が会いに来てくれたり、嬉しい感想をたくさんいただいて本当にやってよかったなぁと思いました。写真に関しては大きく転機になった一年になった。

■お勤め
仕事に関しては決断の年で、自分で自分の首を絞めた感があるけど前向きな結論ではあったと思うので、引き続き頑張りたい。その決断が反映されるのは来年ですが。

ウクライナ
もう一生ないと思われるウクライナ出張。
出張事由がなんとも納得いかなくてぶーたれたままの出発だったけど、ごはんは全部美味しいし白夜がキレイでなんやかんや持っていったフィルム2本が少なかったなと後悔するほど素敵な街並みでした。でも2泊5日はキツかった。

■6packコンテスト、からの
お気に入りのパフォーマーさんにエントリーしましょうよう!と声かけられるまでやる気のなかったb-monsterの6packコンテスト。
去年の秋口~年始にかけて明らかにからだ重くなってる実感はあったので、エントリーしたからには…と、それ以降飲酒頻度を減らす×ビーモン頻度を上げる、いけない日はちゃんとおうち筋トレ、おやつの代わりにゆで卵、とかしていたら理想の縦線があらわれ、体脂肪率3.2%減とギリギリノルマ達成し、なんなんかんや3位にはいりました。やったね。
でも、今年は推しパフォの退職があったり、所属スタジオの予約数制限、メンテ不足っぷりの散見、ストレス解消効果の低下もあいまったので1月末で退会することにして別のフィットネスを探します。いまの推しは長身イケメンで大好きだけど、月10回くらいしかいけないのに予約取るのが至難の技でな。もうキャン待ち疲れたよ。

なんか濃い一年だったなー。
辛いこと苦しいこともちろんたくさんあったんだけど、いい年だったなと思えなくないのでよかったんではなかろうか。

今更ながら愛がなんだを観た話

5月の話なんだけど、愛がなんだを観た感想を残しておきたかったので。

わたしはその日有休で、まさにわたしが勝手に好きなだけの男と前日に会っていた。複数人だったけれど、だからこそため息をつきたくなるけど決して悟られてはならない場面が何度かあった。

いまの状況で観ると心が死ぬだろうと覚悟しながらの鑑賞だったけども、想定ほどのダメージはなかった。テルちゃんのもはや好きかどうかはわからない執着心の行き場をなくしている感はすごく理解できたし、多くの人が共感している幸せになりたいっすねのナカハラの名シーンも、愛がなんなんだよそんなのきれいごとじゃんて思うテルちゃんサイドで見ていた。前夜の影響が少なからずあったのだと思う。ナカハラの心境に至って自ら好きな男と距離を置いたこともあれば、テルちゃんのように、付き合うだけが愛の形ではないと、側にいるためなら手段を選びたくないと思った時期もあった。テルちゃんのように、相手の気持ちなんておかまいなしに好きで居続けられたらある意味幸せなのかもしれないななどと、うっすら思っていたことをしみじみ考えたりした。きっとそれはある意味幸せで、ある意味とても不幸なんだろうと。ラストはテルちゃんが報われることがなくてよかった、よかったという表現はすこし違うかもしれないけど、映画を陳腐化させないリアルなラストだなと思った。

愛がなんなんだよ、わたしはいまもそう思っている。見返りさえ求めなければその人を想い続けることは可能だ。誰にも止める権利などない。でも、既に彼への気持ちは、純粋な恋愛感情以外に諦めとか失望とか対抗心とかが絡み合った執着に形を変えてしまった。この気持ちを抱えたまま生きていくのは私の精神衛生上よろしくない。おそらくその時間が長ければ長いほどに。

どんな形であれ手放したくないと思った人とのハローもグッバイもサンキューも言えなくなる日がそう遠くないうちに訪れる予感がしていて、その日々はしばらくはつまらないと感じるかもしれないけれど、そろそろ私も私自身を大事にしてあげたい。できれば、我慢も無理もせずに好きな人を好きだと言えるように。

2018総括

三箇日も終わろうとしてるけど振りかえるよ。

◼️カメラ購入
重量にためらっていた憧れのPentax67をついに購入。やっぱり買ってよかった、めっちゃ重いけど。映りめっちゃ好き、めっちゃ重いけど。

◼️転居
通勤時間が半減したのはとても収穫。どんどん部屋が狭くなっていくけど、立地重視なのでしゃーなし。通勤ストレスはかなり減った。帰りも早くなったし。前の家から2km程度しか離れてませんが…

◼️フジロック
なんと苗プリ宿泊券を当ててしまったり、久しぶりに同行者がいたりでかなり楽しかった。地の利を活かして朝まで遊べたし。次は前夜祭から行きたいなどと思ってしまった。

◼️仕事は
なんとかギリギリふんばれてる感じ。なんかなーって思うことが多かったな。この会社でずっと働き続けていく覚悟が自分には足りないかもなと思ったりもした。

◼️ほか、よかったこと
わりと難易度の高い資格に受かった。我ながら頑張ったよ…。それにしてもシステム開発を語るのに何千字の論文手書きなんてそろそろ廃止にした方がいいと思う。

◼️男女カテゴリの件
出家しようかと思ったりしたけど、まあ楽しかったよね…。今年は新規案件創出に着手しなきゃな。秋くらいからぽつぽつやってはいるけど不発です。

狭間

東京で生きるのか、生活の拠点を写してしまうのか。
マネージャーを目指すのかやめとくのか。

こんな年には当然腹を括れていると思っていた、数年前までは。
結婚せず一人で生きていくのは可能だけどそれは寂しい気もしていて、その結論も出せないのにもっと長いスパンでの人生の決断なんて当然できないのだけど。

正直未だに期待してしまっている。この人となら結婚したいと思える人がどこかにいるんじゃないかと。
ほんとに結婚なんてしたいんだろうか。既婚者に振り回されたのは一度や二度ではないのに。
ただ、結婚もしていない社会不適合者と思われたくないだけなんだろうな。自分のことなのに他人事のように書いてしまったけど。