わたしはいつもボロボロで生きる

30代メガネ女子が都会で消耗していく記録

エモいとはなんなのか

12年を有に越すお付き合いになる、同世代の愛すべきはてなフレンズたちが、毎日のように日記を書いていた学生時代を振り返って、あの頃みたいにエモいことないよねぇと当時を懐かしがっていた。
そこでふと考え込んでしまった。エモいってなんだろう。私はこの近年生まれた形容詞について、自分なりの解釈をまだ持ち合わせていない。

この言葉を聞いたときに、懐かしいとかセンチメンタルとかそういうニュアンスで使ってるんだなと思った記憶があり、ググってみたところ、どうもこの理解が間違っているわけではなさそうだ。
そう思えば学生時代のことはエモいと感じて当然なんだと思う。スマホSNSもなくて、発信する手段ははてなmixiくらい。有益な情報でもなんでもない、日々の出来事と自分の気持ちの浮き沈みを言葉にするのが当たり前だった。読み返してみたけど、ある意味すごく生々しかった。当時の感情がすごくリアルに思い出される、圧縮して保存されてたような文章だった。30代半ばの日常で、こんなに感情が全面に出ている文章を目にすることもなければ当然書くこともない。

ミドサーの日々にエモいことはないのか、と言うとゼロではないと思うが、もう当時のような文を書ける気はしない。それ以外に考えることがありすぎるのだ。結婚もしていなければ子供もいない私でも、自分自身のことより仕事のことを考えている時間が断然長い。仕事でも自分の目の前のことだけやっていればいい立場ではとっくになくなっていて、上司部下顧客組織、今一ヶ月後三ヶ月後一年後、と慮らなければいけないことが山のようにある。育児真っ盛りの時期を迎えている人たちはここに更に家庭のことがのっかってきて、余裕は全くなさそうだ。「エモい日記を書いていた時期に比べて、そのために割り当てられる頭のメモリが完全に激減している」のである。

とはいえ、何年か経った頃、「エモい文なんて書けないねぇ」とぼやいていたことさえエモくなるんじゃないだろうかとも思ったりする。その頃そうやって今に思いを馳せられるよう、心身ともに穏やかで健やかにいられるといいなと切に願う。